割と衝撃を受けたこと

近所…と、行っても引越し前なので、10ブロック以上離れた、馴染みの床屋の話。


『一般の人には理解してもらえなくて、いや、知識が無いんですねぇ。』


どうも鼻に付いた。
前回*1髪を切りに行った時にも、既にその気はあったのだけれど、どうやらその床屋のマスター…ねずみ講…所謂マルチ*2にはまっているらしい。いやはや…またか*3よ…。


しかも性質の悪い事にこの親父、2014年に人類が滅びる予言云々とか日本人は霊格が高いとか霊視が出来る人に役割を与えてもらったとか云々かんぬん…お、面白れぇじゃね〜か! 顔剃りをオプションに入れてなければ、それは楽しめたであろう。しかし今日は剃刀を使ってもらうんだ、もう心底青くなりましたよ。


…何というかね。正直、可哀想だった。洗髪してくれた奥さんが。
僕としては、信仰の自由が憲法で保障されている風な設定のこの国に居るので、誰が何を信じようが、影響範囲外では知った事ではないが、こうした物を信じてしまう人は、自分で考える事を完全に放棄しちゃったんだと思う。
迷う事を忘れ、安易な偽りの真実に安住する…と、言ったのは、山本弘サイバーナイト*4で出てきたとても心に残ったフレーズ。


確かにね、考えるってのはとても辛い。
例えば、過日の僕の車の事故について、例題として挙げてみよう。
あの事故は、事故を貰った瞬間から膨大なリスクの塊で、しかもそれが事故の決着後も、僕にとっては新しい車の支払いというリスクが続く出来事なんですよね。
しかしながら『それ以上揉め事を続けるリスク』と『新車を買って事故を決着し、借金を負うリスク』を比較した結果、新車購入に至った訳です。これも、仕事の合間にうんうん唸りつつ、同居人や会社の同僚に迷惑を掛けつつ出した、断腸の思いの結果なんですよ。


でもね、こうして自分で悩んで悩んで悩みまくって出した結果、というのには納得が出来るし、全て己の責任として処理できる覚悟も出来たと思う。
完全な客観というのが無い以上、最善の策というのを取った、というのは人それぞれまちまちであるだけに最後は自分で全て飲み込める覚悟と分別が絶対条件であると思うわけですよ。


では翻って、件のマスターの話になると…。
多分、あのマスターは自分で考えるのを放棄したが故に、良し悪しも全て他の所為にしてしまうんですよね。
楽な生き方である。
別に無理して苦労しろというつもりは、僕も苦労は出来るだけ避けたいくちなので言うつもりなぞこれっぽっちも無いのだけれど、最低限の努力を怠る人間において、何かに文句をつける資格なぞ全く無いのである。
それこそ自分の責任だし、素直に他人の言い訳に従えよ、と。


長くなったので結論。
よしつねは見えなくても信じているのは、義理と情だけである。
他のものは、とりあえず疑ってみて、自分で検証して他人と論議してみる。僕でもそれくらいの慎重さがある。
安易な思い込みは、思い込みで済まない場合が、時として、確かに、ある。
まずは『理で考えよう』。

*1:昨年末のこと

*2:マルチ:ほっちゃんこと堀江由衣の声でしゃべるHMXシリーズ試験機体ではなく、連鎖販売取引の事。マルチを本気で始める人間は、余程数学…いや、いや、『小学生レベルの算数が出来ない』人間か、現実認識能力に著しい問題を抱えている人間だけである。考えてみよう。一人が8人に斡旋したとして、地球人類全てに商品が行き渡るのに何日掛かるかを。考えてみよう。大企業が社運を掛けて開発・販売している商品に対抗し、片手間で売る商品の品質を

*3:どうも、よしつねの周りの『微妙に疎遠なれど、つながりがある人間』という人種にマルチにはまっている人間が多い。んまぁ、普通に仕事をしているのであれば、疎遠になるか頻繁に顔を突き合せるかのいずれかになるのが普通、だと思うが…

*4:サイバーナイトシリーズは本当に良く出来たSF小説なので、SF初心者にうってつけである。特に『サイバーナイト ドキュメント-戦士達の肖像』と『サイバーナイト 漂流・銀河中心星域(上・下)』は、個人的にステロタイプのSFとしては必読だと思う