確信が持てるまでなんでもやる 〜やめちゃいけいない話

忘年会のその後の話。


忘年会アフター組のみぎーさん、nekoさんを連れ立って、飯やら車やら麻雀セットを買いに行った時、車中であった話。

『うーん、いや、やっぱり宗教は駄目です。どーにも。特に新興宗教は超高効率の集金システムじゃないですか。』
『でも、そこまで信じられるものがある、ってのはいいよ。』
『そうですか…? どーもなぁ…。』
『だって、全てを棄てられることが出来るんだよ?』
『イヤーそれって何か、違うんだよね。』
『いや、いいよ…!』
『気持ちは解らないでもない、けれどね。やっぱりちょっと、僕には無理ですよ。あーでも、話変わるんですが、』
『ん?』
『逆に、ヤンデレならいい。そこまで好いて貰えるならいい。』
『えー、それはやだ。』
『いいじゃないですか!僕の憧れですよ。いいなぁヤンデレ。Yes!ヤンデレ!』
『それはさー、知らないからだよ〜実際、面倒臭いの騒ぎじゃねぇって!』
『だってさー、うーん、やっぱりいいよなぁ…。』
『のー!ヤンデレのー!ノ〜ノォォォォォ!』



…とまぁ、こんな会話があったんですけれどね。
さて。何が言いたいかというと…この時、よしつねが上手く言えなかった、宗教が駄目な理由です。


多分それは、
『信じることによって、自分で考えるのを止めちゃうから』
だと思う。


確かに、宗教を信じきる事で、その他の苦難やら悩みやらから解放されるとは思う、そうは思うんだけれど、その引き換えに無くすものがあまりに大きすぎる気がする。
極端な例だけれど『信じて祈祷すれば死者が蘇る』とかね。
そりゃ本当に死者が蘇るというのであれば、信じる価値もあると思う。だがしかし、まず間違いなく死者は蘇らないし、死者が蘇るという偽りの真実を受け入れちゃう事によって、生きている素晴らしさを放棄してしまうのでは、と思える。


それから、中東系でよくある話の自爆テロが成功した末に神に祝福され天国へ云々、という話。自爆テロはまごう事無き大量殺人で、じゃあ神ってのは大量殺人を推奨する、全知全能の筈なのに極端なレイシストというとても愉快な奴、と存在自体がギャグにしかならなくなってしまうんだよね。
そもそも、信じるには無理がありすぎる存在なんだよね。


まぁ、こうは書いたものの…。
無神論者である僕でも、何かの折に『かみさま』の一言が出たりするし、あまりに莫大な借金があった時には『物を考えること』それ自体が面倒で仕方がなかった頃もあったし、そうした中で『馬鹿はいいよなぁ』と実に大馬鹿者ここに極まったな考え方を散々して来たから、なんだけれどね。


誰だって苦労とか面倒とかは背負いたくないし、人間は容易に安きに流れる。
だけれども、それでも、自分で考えて自分で選んだ結果なら仕方が無い、という確証を持つ持つ努力、それが持てるまでは何でもやる、そういう気持ちだけは無くしちゃいけない、そう思う。