それを言ったらルーザー
枝葉末節で異なる、と言っても『全く違う株』に植えられているなぁ、と思ったこと。
- ■「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法
前半部分は同意。*1
しかしながら…後半はいくら理論武装しても負け犬の遠吠えに過ぎないと僕は思う。
これは僕が常々思っている事なんだけれど…『大好きな事は金儲けの手段にしない』、『例えどんなに醜くても譲れない部分は絶対に譲らない』そして『自分に言い訳をしない』『ぶっ倒れるまで足掻く』*2ということ。
趣旨一貫していないのは人間だから仕方が無いとしても、決して自分の譲れない一線を持つこと、そしてそれを守る事が出来ないのであれば、生きていても仕方が無い。
人間というのは無目的に生きられるほど強くはないしね。
そして、自分に対して納得をさせる事はあっても、一度言い訳をしてしまうとそのままずるずると言ってしまうのが人間である。例え虚勢であっても欺瞞であっても、そういう気持ちが無くなったらそれはもう、生きる事自体に意味を見出せなくなってしまうのではないのだろうか。
ましてや、件の文章では理論武装をしているように見えて、他人を叩く事しか出来なくなっているのはどうかと思う。
他を叩くって言うのは、自分に何も無いから、だと僕は思う。
そして、好きな事を金儲けの手段にしたというのは、自分でした選択。
それすらも貫けない人間の言葉が、他の人に響かせる事出来るとは…僕は思わない。