simple is... 動の章

ちょっと車で出かけて、改めて実感したこと。


ぶっちゃけ、絶対の必要性があって買い換えたものではない、というのがνよしつね号購入時だったのですが、やっぱりいいものは、いい。


FCに比べると、重量があるので、どうしてもブレーキング、ハンドリングの甘さが気になるのだけれど、これはもうどうしようもない。どちらかと言うと車の特性であり、僕の慣れの問題ですからね。
一番のアドバンテージは、高トルクハイパワーエンジンからくる、操作軽減ってのが大きい。
自分が歳をくった、と言うのもありますが、FCの頃の様にタイト一辺倒より、楽も出来るけれど、ちょっと本気も出せちゃうよ? というのが今は良いですね。


んで本題。
今回のお話の本質は、その操作軽減、オペレーションという点。


やっぱり、極限まで突き詰めると、シンプルで確実動作、というのが肝要になってくるんじゃないかと改めて実感した次第です。
昔はよしつね、ごりごりのテッカーだったので単機能イコール低性能、多機能あってこその技術であり、それを扱える僕って凄い!という、一人上手フルバーニアンな奴だったのですが、どーもそうじゃないらしい、といつしか思うようになったんですね。


変わり始めたのは、マンマシンインタフェースに興味を持ち出した頃からかな。
どうやら自動化というのは、思った以上にユーザの意思を阻害するものだ、と気づいた頃から、ダイレクト感重視になりました。


また妙な喩えになりますが、前世紀のアニメにプラレス三四郎という、今で言うところのロボット格闘をリアルでやっちゃう、今風に言えば…エンジェリック・レイヤーかな? そんなアニメの劇中で、オートパターンセレクターという技術があるのですが、5種のあらかじめ定義されたパターンからロボが自ら、適切な行動を選択する、という技術です。


しかしこの技術、主人公とロボ以上に有効に機能しない、という描写がありました。
主人公とロボには、ロボからのフィードバック…格闘による『痛み』を再現するリストバンドを主人公が装着することが関係しているのでは? となっていました。


個人的にはパターン学習の経験値の差じゃないか、と突っ込みどころもありますが、僕としては、わずかでも、ダイレクト感が向上することにより、感覚等を投影しやすくなったんじゃないかとも思える訳です。*1


さて。νよしつね号に話を戻しましょう。
そういう意味では、νよしつね号の電子制御はユーザの操作に対しての電子的な改ざんは少ないと思っています。
無論、基本的な部分…AWD制御やら燃調等の部分では、電子制御無しでは真っ直ぐ走るのもままならないんじゃないか? と思います、が自分が行った操作と結果の整合性はとても高いと思うんですよ。
車の特性を理解した上での話*2、ですが。


他のレガシィにはATのスポーツシフトやSiドライブと言った機能が備わっていますが、基本性能が高ければ、そうした機能は不要なんじゃないか、寧ろ、かえって操作を増やしてユーザに負担が回ってくるんじゃないか、そんな風に思う次第です。
基本性能が必要十分以上であれば、補助の機能は不要と。
極論ですがね。


そして、この難解な話は『操の章』に続きます。

*1:元々、ある種の人間は物に感覚を投影しやすいと思います。擬人化はちょっと違うと思いますがw

*2:プッシュアンダーとか段付きターボとか。でもこの辺はマシンを操る上で必ず発生するところですからね。理解されたいのなら、まず相手を理解するというのはこんなところでも有効のようです