真摯であること、貫き通すこと

よしつねの素朴な疑問。亀田大毅はなんで切腹しないの?いやマジで。


少しだけ僕の昔話を。
よしつねの実家は商売をやっていて、しかも借金をこさえていました。ちょっとでかいの1本。
東京に帰ってきても数年は、マグロ漁船に就職を斡旋してくれるという親切なお兄さんたちや、無い袖を強引にでもフルスイングしなさいと僕を激励してくれるおじ様たちとお付き合いしたりしていたんですね。
んで、僕は腹を括りました。この糞借金は死ぬまでに全部チャラにしてやる、と。


しました。


もうかなりどーでもいいというか、試合自体面白くないと思っていたタートルズの試合は案の定、試合の様相を呈せず、仕舞いにはボクシングの体裁すら取れないという…もう、興行としてどうなのよ、というレベルだったらしいね。


よしつねはユーリ・アルバチャコフなどの、本当にフライ級かよ? というハードパンチャーの良質な試合を見ているので、そも、フィジカルもメンタルもどーでもいい様な試合はテレビでもお付き合い程度しか見たくないんですよね。


そして…よしつねが更に気持ち悪いなぁと思うのが、この辺の記事。





何というか…。
男が一度口にした事を、簡単に翻すという点だけでも虫唾が走る。
そして不良効果って奴だよね、これ。今まで悪いことしてきた奴がちこっと真面目な振りをするだけで世間の同情を引けるというお得なシステム。


そもそもは何だ? 自分でそういうスタイルを築いてきたんじゃないのか。
レオナ・オザキ風に言えば自分で引き金を引いておいて、弾が当たったのを銃の所為にする、という風にしか見えない。


更には…大毅あやまってないじゃん。
武蔵坊弁慶*1の生まれ変わりだか俺弁慶だか知らんが、一試合負けただけで自宅警備員化するならば、人前に出てくるなよ、と。
そして、いい歳こいてでかい口を叩いても誰かに頼るしか生きる術が無いなら、潔く死ね。


詰る所…彼らの生きる術であるボクシングは彼らにとって、命を賭ける程の価値は無く、謝って済むレベルだった訳だ。
僕の生きる術としての、仕事へのプライドと比較するのも馬鹿らしい程度。*2


当然ながら、人は一人で生きていくのはとても難しいんだけれど、だからこそ、まわりに謙虚であれ、真摯であれ、と思うんだよね。
そして、自分の思いを、スタイルを、プライドを貫き通せないのであれば、更に真摯で謙虚な姿勢こそが必要だとも思う。


僕の周りにも、自分で言った事を、舌の根も乾かぬうちに翻す人間というのはチラホラと見かけるのだけれど…自覚、自己批判というのは常に必要なんだよね。

*1:武蔵坊弁慶というと、体躯に恵まれた武の人、という印象があるのだけれど、本当は前田慶次郎よろしく、とてもインテリな人物だったらしい。そも、千本刀なんて酔狂をあの時代にやるってのは、インテリにしか思いつかないよねぇ。んで、牛若丸は確かに美男ではあったものの、中身はDQNであり腕っ節だけの人だった可能性がある、という。んで、その勢いで弁慶を唆し…という説もある。これを書いている方のよしつねは、残念ながら美男でも腕っ節も強く無いけれどね

*2:念の為に言っておきますが、今はそこまで仕事へ入れ込んでいる訳ではないですよ。無論、自分の納得出来るクオリティを維持する、という意味では色々なものを犠牲にしても、とは考えていますが、借金無き今、命を賭けるほどの物では無いので、謙虚さを大事にしつつ自分の仕事をしている次第です