遊びだからこそ、真面目に管理する必要がある
自分のようにプロジェクト単位で仕事をしていると、優秀な人がリーダーとなりマネジメントをしてくれるのが、最も理想的なのですが、現実問題として管理という作業は非常に稼動がかかるもので、通常の作業は出来ないもの、であると僕は考えています。
さて本題。
現実の問題として、人間一人が対応できる稼動なぞたかが知れています。これは仕事だけでなく遊びでもそうです。
だから、いろいろ手広くやっていたら、どこかに破綻をきたすのは当然の帰結です。
仕事だったら「いやあの人は、管理だから実作業はこちらの都合で進めよう、進捗さえ適切であれば文句も出まい。」で済みます。何故かというと、それが仕事であり、金銭授受をベースとした関係であるから、です。
翻って、遊びの場合はそうも行きません。
人間が二人以上集まれば、ある種のベクトルを持たせないと組織というのは勝手に崩壊していきます。仕事のように一定かつ最適の条件付け*1があればともかく、快楽のためにしていること、なんですから。
極端な話、遊びの場でリーダーシップを取るということは「自分の楽しみを捨てても、組織を楽しませる」という事に終始します。組織に対する役割が構成員に対する奉仕*2である、という事です。お飾りじゃなければね。
…という訳で。
皆、生きている限り、人の数だけ事情を背負って生きているのですから、その全てを賭して、というのは無理な話ではあります。普通の人であれば、誰も廃人になってまで奉仕せよ、とは思わないだろうし。それは逆に構成員の方が迷惑です。
しかしながら、最低限の奉仕のレベルというものはあると思います。所謂フォローマンシップということ。フォローマンシップには、実はゲームの腕はあまり影響せず*3、組織に対する貢献度、つまりは奉仕の度合いによって評価されるもの、だと僕は考えます。
人間、移ろいもするし飽きもする。
一つの事だけやっていれば問題なし、なんてのはありえませんが、自分で勝手に手を広げて、首が回っていないのにも関わらず、それを他人に責任転嫁するというのはどうかと思います。
さもないと、どれも中途半端に終わってしまうだけでなく、何をするにも最も大事で大切、そして重要な人脈まで失われてしまうことになるのでは、と思う次第です。
解っているよね?
一度失った信用は、再度同じレベルまで持ってくるのは、本当に大変なんだよ。