ヒューマンインターフェイスとユニバーサルデザイン

昨日書けなかった話題その一です。まず今日はインターフェイスの話から。
僕はかなりのエルゴデザインマニアです。例えばキーボード。もっとも大好きなナチュラルキーボードをはじめ、メカニカルキーボード、HappyHack等を愛用しています。それから、会計用特殊キーパッドも。そうそう、みんなぼろくそに言ってるMicrosoftだけれども、MSのハードは実は最高だぞん。特にナチュラルキーボード、ジョイスティックは一度使ってみてもらいたい。すんなりなじんでもうナチュラルじゃないと打ちにくい体になることうけあい。
次に車。ハンドルとシフトノブを「やり過ぎない程度に」エルゴしてます。ハンドルはMOMOのRACE、シフトノブはCAR MATEのヘビーウェイト。特に中速で車を操る時にとても良く馴染む。
これらインターフェイスに共通して言える事は「より自分に馴染む」とか「自分に近くなる」あまつさえ「自分の一部となる」という点。最後の「自分の一部になる」ってところに重点を置きたい。
ゲームやドライブに夢中になると「感覚の拡大」という現象が僕には頻繁に起きる。こんな事を書くと『をぃをぃこいつ逝ってねぇ?』と思われるが、ほとんどの人が同じ経験をしているはず。車のゲームをしていて、障害物にぶつかった瞬間、お腹や頭が圧迫される感覚。車を止める時に止め石にタイヤを当てた時に腕や腰に来る感覚。もっと判り易い例だと、映画に夢中になっていて、主人公が銃で撃たれた同じ箇所をさすっていたり。別にそこをぶつけたりした訳じゃないのに、みんな気がつけばシンクロ率90%を記録ってやつだ。
こうした感覚は、特に手を使うゲームやドライブに頻繁に見られるらしい。キーボードだってそう。馴染んだキーボードの方が「より入力する意思を投影しやすい」といった感覚。いわゆる筆が乗るってやつだね。
さて、人間の欲求には支配欲が設定されている。何かを支配したい。そこまで行かなくても何かをコントロールしたい、上手にこなしたいってやつ。これが結構馬鹿にならなくて、通常受けるストレスのほとんどはこの支配欲が根っこにあると言って良い。同僚が非協力的だ、パソコンがドライバを認識しない、自転車でこけた、ゲームを先に進められない、紙くずがゴミ箱に入らないetcetc…。
で、人間相手の部分は「言葉」という不自由ながらも自分の意思を「偏った形で」伝達する手段があるため、まだ何ぼかマシである。そもそも偏った伝達方法であるが為に、うまく支配(そういう意識は無くとも)出来た時は非常に快感である。じゃあ言葉が通じない機械はどうだろうか。
機械だって実は言葉がある。プログラム言語だったり、操作手順だったり。ほとんどの機械は人間の性格と似た特性を持っており、それを上手く引き出してあげると人間同様の支配感覚が味わえる。これまたものすごい快感だ。しかも機械の場合は(特に近年の機械は)人間と違いあらかじめ設定しなければ、ムラっ気やら結果のブレというのがまずありえない。より簡単に快感を味わえる手段なのであるが…。
人間に対するコミュニケート不全と同様、機会に対してもコミュニケート不全はある。特に困るのが「いやもう機械だから解らんし」となってしまう事。手順を守ってやれば容易に快感を得られるのに、である。とても勿体無い気がするなぁ…。僕は常々、その点が気になっていた。
さ、今日はここまで。今回のキーワードは『感覚の拡大』と『支配欲と快感』、それから『手順』を覚えておいてくれ。